【怖い童謡】「通りゃんせ」の歌詞の意味:3番の「あのこ」は事故で亡くなっている?

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日本には多くの童謡がありますが、 『通りゃんせ』のように、実は恐ろしい意味が隠されている歌も存在します。

『通りゃんせ』も有名な子供の遊び歌ですが、女の子の事故にまつわる怖い話など、怖い説があります。

今回は、童謡『通りゃんせ』の歌詞に隠された意味と、怖い都市伝説を紹介していきます。

目次

童謡『通りゃんせ』の歌詞の意味

『通りゃんせ』は、子供の遊び歌で、作詞者不明、本居長世編・作曲(あるいは、野口雨情作とも)。

遊び方は簡単で、「親」役の子供二人が手をつないで橋を作り、「子」役の子供たちがその下をくぐっていいく、というものです。

歌いながら橋の下をくぐっていき、歌が終わったタイミングで「親」が腕を下ろすと、そこにいた子供が捕まるという仕組みになっています。

きっと、皆さんの中にも幼い頃に友達とこの遊びを楽しんだ思い出がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

『通りゃんせ』は日本の伝統的なわらべ歌の中でも特に有名なものの一つです。
地域によっては音響信号機のメロディーとしても使われており、耳馴染みがあります。

ところが、この歌には少し不思議なところがあります。それは、歌詞の内容が怖いと感じる人がいるということです。

なぜ『通りゃんせ』の歌詞が怖いと思われているのか?
まず歌詞の意味をひも解いていきましょう。

「通りゃんせ」の意味

とおりゃんせとおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
ちっととおしてくだしゃんせ
ごようのないものとおしゃせぬ

このこのななつのおいわいに
おふだをおさめにまいります

「通りゃんせ」という言葉は、「通りなさい」という意味です。

どうやら、七歳になった子供のお礼参りに来た母子の様子を歌っているようです。

さて、この歌の発祥地についてはいくつかの説があります。

神奈川県の山角天神社や菅原神社、それから埼玉県川越市の三芳野神社などが候補として挙げられます。
山角天神社は、学問の神様として有名な菅原道真を祀っている神社です。

地元の人たちからは親しみを込めて「天神さん」と呼ばれているんだとか。

歌詞にも出てくる「てんじんさまのほそみち(=天神様の細道)」は、まさにこの神社への道を指しているのかもしれません。

なぜ「帰りが怖い」のか?帰りが怖い理由①

いきはよいよい かえりはこわい
こわいながらも
とおりゃんせとおりゃんせ

なぜ「行きは良いが、帰ってくるのは難しい」のでしょうか?

一つには、当時の参拝事情が関係しています。

菅原神社を舞台にした説では、箱根の山を越えてお参りに行きます。でも、帰る頃には関所が閉まってしまうんですね。これが「いきはよいよい かえりはこわい」の由来かもしれません。

川越の三芳野神社の説も興味深いです。
三芳野神社は川越城の中にありました。お参りするのに許可が必要で、帰りもチェックが厳しかったんだとか。これも「いきはよいよい かえりはこわい」に繋がりそうですね。

さらに、三芳野神社では、特別な時だけ一般の人が参拝できたそうです。

「このこのななつのおいわい(=この子の七つの御祝い)」という歌詞、そういう特別な機会を指しているのかもしれませんね。

子供の健やかな成長に感謝し、特別な許可を得てお宮参りをするのであれば、『通りゃんせ』という曲に漂う厳粛な雰囲気も理解できるでしょう。

帰りが怖い理由②:口減らし説

「いきはよいよい かえりはこわい」には、もっと怖い意味があるという説もあるんです。

一つは、口減らし説です。

口減らしは、昔、食糧不足や自然災害で生活が苦しくなった時に、子供を身売りしたり殺してしまうことです。

驚いたことに、『通りゃんせ』に出てくる神社で、子供に手をかけていたという説もあるらしいのです。

七つまでは神の子と言われていて、まだ人間ではないと考えられていたんですね。

だから、神様に子供を返すという理由で、口減らしが行われていたという説があります。

今の私達からすると信じられないかもしれません。

でも、昔の暮らしは今ほど豊かではなく、特に冬は大人が生きるだけでも精一杯でした。

そう考えると、子供を神様のもとへ返そうとする親がいても、不思議ではないのかもしれません。

行きは親子で手をつないで歩いていく。しかし、帰りは親が、一人で帰って行く・・・。

考えるだけで恐ろしい話です。

ところで、「こわい」には別の解釈もあります。

「こわい」には方言で、「だるい」とか「疲れた」という意味があるらしいのです。

『通りゃんせ』の「こわい」も、単に「疲れた」という意味ではないかという説があるんです。

昔は交通手段が発達していなかったから、地方から天神参りをするのは大変だったのでしょう。

特に小さな子供を連れていたら、行きは良いけれど帰りは疲れ果ててしまいますよね。

そんな気持ちを歌ったのではないかと考えると、『通りゃんせ』の怖いイメージも和らぐかもしれません。

『通りゃんせ』を逆再生すると呪いの歌になる?

『通りゃんせ』を逆再生して聞くと、ある言葉が聞こえて来ると言われています。

それは、「帰さないよ帰さないよ」という言葉・・・。

この歌には、「口減らし」よりも、もっと怖い意味が隠されているという説があるんです。

母親に見捨てられた子供の恨み

昔、飢餓に苦しむ親子がいたそうです。
親は、「飢えで苦しむくらいなら、いっそ・・・」と、子供を殺してしまいます。

「いきはよいよいかえりはこわい」の歌詞の、「いき」は「逝き」。死を意味しているという解釈があるのです。

「かえり」は黄泉の国からの帰還を表しているのだとか。

つまり、殺されたことを恨みに思う子供が、親を「黄泉の国から返さない」と言っているのではないか・・・。

このことから、信号機から流れる『通りゃんせ』には、「子供と横断歩道を渡る際、戻ってはいけない」という意味が込められているんだとか。

確かに、青信号が点滅し始めるタイミングによっては、危険で事故も起こり得るでしょうが、あくまで都市伝説でしょう。

興味がある方は、逆再生の音源をYouTubeで聞いてみてください。

怖すぎる二番の歌詞

『通りゃんせ』には、実は消された二番目、三番目の歌詞があったと言われています。

それがこちら↓↓

通りゃんせ 通りゃんせ
ここは冥府の細道じゃ
鬼神様の細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
贄のないもの通しゃせぬ
この子の七つの弔いに
供養を頼みに参ります
生きはよいよい還りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ通りゃんせ

身の毛もよだつ内容ですが、真偽の程は不明です。

いずれの文献にも残っているのは一番の歌詞のみのため、時代の流れとともに忘れ去れられていったのか、それとも恐ろしすぎる歌詞ゆえに葬り去られたのか・・・。
定かではありません。

ちなみに、昭和期の歌手である志村道夫さんが歌った2番、3番があるとも言われていますが、公式の文献としては、『日本わらべ歌全集』8巻に「類歌」があるのみです。
本居長世さんの編曲当時は1番のみだったと言われています。

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